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あとは頼みます。

ここまでは考えたので…

【読書】フロー体験 喜びの現象学

読書

【読書記録パート20】

筆者:M.チクセントミハイ
表題:フロー体験 喜びの現象学

フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)

フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)


内容

意識の統制

人類は奇跡的な進歩を成し遂げたにもかかわらず、その恩恵に俗することの少なかった祖先に比べて、我々が生活に直面して希望をもてないように思えるのはなぜなのだろうか。

我々が自分自身を、また生活から得る喜びをどのように感じるかは、究極的には心が日々の経験をどのように濾過し、解釈するかに直接左右される。我々が幸福であるかどうかは、内面の調和による。生き生きとした生活をを送る人々は多様な経験に対して自分の心を開いており、死を迎えるその日まで学び続け、他者や自分の生活環境と強い結びつきをもち、それらに自分を委ねている。おそらく彼らを支える最大の力は、自分の生活を統制しているということである。

私はこれまでの研究の過程で、人は最も楽しい時にどのように感じているか、そしてそれはなぜなのかをできるだけ正確に理解しようと努めた。私は、「フロー」=1つの活動に深く没入しているので他ものも問題とならなくなる状態、その経験それ自体が非常に楽しいので、純粋にそれをするということのために多くの時間や労力を費やすような状態ーという概念に基づく「最適経験」の理論を作り上げた。

現代生活の不安と抑圧とに打つ勝つためには、人は生活がもたらす賞罰だけに反応するというレベルを超えるところまで、社会環境から独立しなければならない。このような自律性を達成するには、報酬を自己調達することを身につけねばならない。人はどのような外部環境の中でも楽しさと目標とを見出す能力を発達させることが必要である。社会の統制から我々を解放するための最も重要な第一歩は、その時その時のできごとの中に報酬を見出す能力を身につけることである。経験の一つ一つ、流れや生活の過程それ自体を楽しみ、その中に意味を見出す事を身につけるならば、社会による統制の重荷は自然に肩から落ちてくる。

意識の分析

意識の働きは、個体の内外に生じた事柄についての情報を身体が評価し、身体がそれに働きかけることができる形で描写するということである。パーソナリティの力だけで、絶望的な状況を克服すべき挑戦対象に変えることのできる人々をだれもが知っている。おそらく人生に成功するために最も重要な特質であるとともに、人生を楽しむための最も重要な特質であるからだ。

この特質を育てるには、感情と思考とを統制するために意識を整理する方法を見つけなければならない。意識が統制されている人を特徴づけるのは、思うままに注意を集中させる能力であり、気をそらすものに心を留めないこと、目標を達成するまで注意を集中すること、目標達成の後まで注意を持ち越さないことである、これができる人は、日常生活の一般的な過程を楽しんでいるのが普通である。我々はエネルギーをどのように投射するかによって自分自身を作り上げていく。記憶・思考・感情のすべては我々が注意をどのように使うかによって形作られる。さらにそれは我々の統制下にあり、我々が思うように扱うことのできるエネルギーである。したがって注意は我々の経験の質を向上させる上で、最も重要な道具である。

注意が自由に個人の目標達成のために投射されている状態のことを「フロー状態」と呼んでいる。その状態を達成している人は、より多くの心理的エネルギーを彼ら自身が選んだ追求目標にうまく投射してきたので、より強い自信のある自己を発達させている。できるだけ、多くフロー体験をするように自分の意識を組織できれば、生活の質は必然的に向上するようになる。目標を選び、注意集中の限界にまで自分自身を投射するとき、我々が行うことはすべて楽しいものになる。そしてひとたびこの喜びを味わうと、我々はその喜びを再度味わうための努力を倍増させる。これが自己が成長する道筋である。

自己目的的経験

目標が事前に明確でないいくつかの創造的活動では、自分がしようとしていることについて強い個人的な感覚を洗練しなければならない。内面的な指針なしにはフローを体験することは不可能である。最も楽しい活動というのは自然なものではない。それは初めのうちは気の進まない努力を要求する。しかし、人の能力にフィードバックを送り返すという相互作用が始まると、それは内発的な報酬をもたらし始めるのが普通である。

最適経験の基本要素は、それ自体が目的であるということである。たとえ初めは他の理由で企てられたとしても、我々を夢中にさせる活動は内発的報酬をもたらすようになる。 自己目的的経験とは、将来での利益を期待しない、することそれ自体が報酬をもたらす活動をいう。

意志の鍛錬

…彼らの仕事は困難であり、魅力的なものではない。そして多くの人々はそれを退屈で反復的、また意味の無いものと考えるだろう。しかし、これらの人々は強いられた仕事を複雑な活動に変換した。彼らは他の人々が認識しなかったところに挑戦の機会を認識することにより、そして能力を高め、直面する活動に注意を集中し、後に彼らの自己がより強く現れるまでに対象との相互作用に没入することによってこれを成し遂げたとのである。このように変換することによって仕事は楽しくなり、心理的エネルギーが投入されることによって仕事はあたかも自由に選び取られたもののように感じられるのである。

孤独の苦悩

多くの人は一人きりでいるとき、とくになにもすることがない時、ほとんど耐えられないまでの空虚感を持つ。何もすることがないとき、心は中心部分へ向かって押し入ろうとする否定的な思考を防ぐ事ができない。自分の愛情生活・健康・投資・家族・仕事に対する懸念が注意集中を要求する差し迫った事柄がなくなるまで常に注意の周辺に浮遊して待機している。孤独な時の注意の統制の仕方を知らなければ、薬物・娯楽・興奮など、心を鈍らせ混乱させるものなら何でも、安易な外的解決に転じる他なくなるだろう。

孤独であることを楽しむためには、文明生活の支えー注意の方向づけに役立つ他者・仕事・テレビ・劇場・レストラン・図書館などーがなくてもフローを実現できるよう、自分自身の精神的活動の型を築かねばならない。孤独であることを、他者とともにいる時には達成できない目標を達成する機会と考えるならば、人は寂しく思う代わりに孤独を楽しみ、その過程で新しい能力を身につけることができよう。他方、孤独を挑戦と考えず、何としても避けるべき状態とみるならば、人はパニックに陥り、心をより複雑なレベルへと高めることのできない気晴らしに頼ることになるだろう。

フローと家族

愛を新鮮な状態に保ち続けるにはどうすればよいのか。その回答は他のすべての活動の場合と同じである。楽しいものにするためには、二人の関係はより複雑なものにならねばならない。より複雑なものになるためには、二人は自分の中に、またお互いの中に新しい可能性を見つけ出さなければならない。それらを見つけ出すためには、相手の心の中にどのような思考が、感情が、夢が住んでいるかを知るため、互いに注意を注ぎ合わねばならない。このことは本来、終わりのない過程、生涯かけての作業なのである。他者を真に知り始めると、たくさんの共同の冒険ができるようになる。一緒に旅行をする、同じ本を読む、子供を育てる、計画を作り実現するなど、すべてはより楽しく意味のあるものになる。

カオスへの対応

健康で、経済的に豊かで、外見が良いという幸運に恵まれれば、簡単に幸福になれると考える人がまだいるかもしれない。しかし、ものごとが自分の思い通りにいかなかったとき、運命が自分に不公平であった時に生活の質を改善するにはどうすればよいのだろうか。逆境に脅かされるとき、心理的エネルギーを投入する新しい方向、つまり外部の力の及ばない方向を見出すことによって統制を再強化することが必要である。すべての意欲が挫折した時でさえ、人は自己を構成するための意味のある目標を求めねばならない。そうすれば、その人が客観的には奴隷であったとしても、主観的には自由である。外部からの脅威によって簡単に不安定にならない人は、彼らの行為が内発的に動機付けられているからであり、彼らは基本的に自分自身の利益の追求に関心を持たない。

生活からフローを見出す方法を知っている人は、絶望しかない状況をすら楽しむことができる。不幸を受け止め、そこから何か良いものを生み出す能力は、貴重な天性である。ある人がストレスによって強さを獲得するのに、なぜある人は弱くなるのだろうか。その答えは基本的には簡単である。望みの無い状況を統制可能な新しいフロー活動に変換できる人々が自分自身を楽しみ、試練の中からさらなる強さを獲得するのである。

自分自身の運命は自分の能力によって決定できる。自身の周囲に起こることすべての一部と感じ、関わらなければならないシステムの中で最善を尽くそうとする。矛盾したことだが、この謙虚な感覚ー自分の目標はより大きな実在に従属すべきであり、目標を達成するには自分の好みとは異なるルールに従って行動しなければならないという感覚ーは強い人の特徴。

フローの条件

生物学的また社会的目標に挫折した時、人は新しい目標を明確に組織し、独力で新しいフロー活動を創造しなければならない。

(1)目標の設定

・内発的動機付けによって目標を設定する。

(2)活動への没入

・挑戦対象と自分の能力との間にバランスをとること。

(3)現在起こっていることへの注意集中

・行為システムへの没入を維持する力

(4)直接的な体験を楽しむことを身につける。

・心が統制されているということは、文字通り生起することのすべてが喜びの源泉になり得るということである。しかし、このような統制を獲得するには決意と訓練が必要である。最適経験は快楽主義的で非現実的な日常の過ごし方からは生まれない。

意味の構成

生活のすべてを統合されたフロー体験に統合する。個々の目標を論理的に従属させるに値する困難な目標の達成を目指し、その目標に到達するためにすべてのエネルギーを傾注するならば、行為と感情とは調和し、生活の個々の部分は一つにまとまる。

目的、決意、そして調和は生活を統一し、それを連続的なフロー体験へと変換することによって生活に意味を与える。この状態を達成した人は決して何事にも欠乏を感じない。意識がこのように秩序化されている人は予期せぬできごとによって、または死によってすら心を乱されることはない。生活の瞬間瞬間が意味をもち、そのほとんどは楽しいものになる。

我々は心理的エネルギーを投入する場所をどうのようにして知るのだろうか。我々に「ここに君が人生を捧げるに値する目標がある」などと教える者はいない。各人が自分自身で究極の目的を見つけ出さなければならない。試行錯誤や厳しい陶治を経て、我々は葛藤し合う目標の束のもつれを正、行為に目的を与えるその一つを選ぶことができる。

強い意志を持って生涯の目標を自分自身で設置した有能な経営者、経験豊かな専門家、有能な職人は、自分の判断と能力への信頼を身につけており、自意識のない子供の純粋さで新たな活動に取り組む。活動の舞台が十分に挑戦的なものであれば、人は仕事にたえずフローを体験することができるだろうし、しあがって日常生活のエントロピーに気付く余地を最小にすることができる。

感想

*意識を向ける対象を選択する

何に注意を集中するか自分を統制し、本当に好きなことに没入するフロー体験を多く持つことが、幸福の指標となる。

外部からのマイナスの刺激に反応せず、自分の内側と常に対話をすること。 周囲の雑音にむやみに反応せず、目の前の作業に没頭すること。
これは訓練次第で克服できる。全ての選択肢は常に自分が持っている。

*やりたいかどうかではなく、適性があるか。

個人という視点からすれば、究極的な目標がーそれを持てば生涯にわたって心理的エネルギーを投入するに値する対象であればー何であるかは問題ない。それが明確な対象や行為のルール、それに注意を集中し行為システムと関わりをもつ方法を指示するならば、どのような目標でも個人の生活に意味を与えるのに役立つことができる。

どんな仕事であれ、作業に没頭して取り組み、アウトプット(結果)を出せるか。
やりたい仕事かどうかではなく、適性を活かした仕事かどうかの方が大事。

「イシューからはじめよ」で学んだ通り、アウトプット(結果)にこだわる。

*技術習得の流れ

P:内発的動機付けによって目標を設定する
D:活動に没頭する(フロー体験)
C:フィードバック
A:フロー活動になるよう設計し直す

結果に至るまでの作業が細分化できないと、途中で中断し、フロー活動まで至らない。だからつまらない。物事を大成できない典型的例。
そんなときは、無理矢理でも結果まで到達させる。そして、何度も登る。

アウトプットの個数をあげ、一つの作業が終わる度にフィードバックをかけ、次の作業時にフロー活動に転換できるよう修正をかける。具体的に言えば、作業のマニュアル化およびデータベース化。 それを何度も繰り返せば、自己目的的経験(作業自体が楽しい)を体感できるようになり、成果物も複雑で高次元のものが生まれる。

*自己目的的経験(作業自体を楽しく)

作業自体が楽しいって発想が今までなかった。
学生時代にこういう発想があれば…。私の場合は勉強を苦痛にしか感じられなかった…。

勉強できる人っておそらくこんな感じだ。
作業自体が楽しいから、勉強する。
勉強するから、点数が上がる。

仕事だけでなく、生活の全ての作業に関して自己目的的体験を出来ているか意識付けをする。 作業自体に楽しさを見出すことが、即ち幸福の在り方だと。

*「ブログ」の効果

私の場合、目的の明確化と習慣が継続できないとモノにならない。
初めのうちはじっくり時間をかけて向き合うことが大事。何年あるいは何十年というスパンで毎日少しずつ意識が洗練される。ブログは意識を研ぎ澄ますこと、長期的に向き合うのに非常に有効なコンテンツであると思う。

*その他

文体が難しいので読むのが辛かった。
具体事例を飛ばして、ざっくり読んでみて。 上のリンクで貼った動画学習からでも是非に。

内発的動機付け×フロー体験×ロジカルシンキング
常に生活のベースに置きたい考え方。