あとは頼みます。

ここまでは考えたので…

【読書】花神

【読書記録パート22】

筆者:司馬遼太郎
表題:花神

花神〈上〉 (新潮文庫)

花神〈上〉 (新潮文庫)


あらすじ

周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。
動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵適塾蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。

内容

技術

*蔵六が追い求めた技術
これまでの蔵六には、情熱の対象が明確であった。人間ではなく、科学と技術である。かれは、オランダ文字をたどることによって、この未見の世界をすこしずつひらき、かれの頭のなかに、他の日本人にはない風景をつくりあげた。そこにはニュートンの力学があり、解剖台上の臓腑があり、蒸気機関のパイプとメーターがあり、そして荒野に進退する大軍と砲声があり、このかれの頭脳のなかの風景のなかに棲みに棲んで、飽くところを知らなかった。自然、生きた人間どもの誰彼に興味を薄くしかもたなかった。

*身分さえも覆す
蔵六は草深い村に育ち、百姓身分からあがって、いまは宇和島候の背後に侍立できる身分までになった。かれをここにいたらしめたのは、たったひとつ、技術であった、この重苦しい封建身分制を突破できるのは「技術」だけであり、それは孫悟空の如意棒にも似ていた。

蘭語

洋学とはオランダ語を学ぶことであり、その目的は西洋技術を取り入れることであった。

西洋人が、ヨーロッパの他の言語をまなぶ作業とは、大いにちがっている。言語をまなぶことは、未知の世界に対してそれぞれの学び手がもっている文明の像と質に対する想像力をはたかせることであった。そういう想像力の作業は、この地球上のいかなる民族よりも、日本人はふるい鍛錬の伝統をもっていた。千数百年のあいだ、日本人は漢文という中国の古典語をまなび、それによって、その肉眼でみたこともない中国文明の世界を知ろうとした。知ろうとすることは、日本人にとって想像力をはたらかせることであった。

村田蔵六大村益次郎)の人柄

あの男のどこが変物かといわれれば、同窓のたれもが答えることができない。せいぜい、無口で、それに塾長でありながら人まじわりをあまりしないという程度で、この程度の個性なら変物とはいえないであろう。第一、この男は自分がのさばり出て自分の利益や思想を主張するといったところが、ほとんどない。

*挨拶
日本人の対人関係の生活は、あいさつでできあがっている。
ことに村はそうであり、野良で働いていても蔵六が道をやってくると、顔の手ぬぐいをとり、「お暑うございます」と、あいさつをする。このとき、蔵六は立ち止まり、身体をその野良百姓のほうへむけ、「暑中はあついのがあたりまえです」と、こわい顔でいった。百姓はあきれたが、蔵六にすれば百姓の言いぐさこそおかしい。人間が言葉を発するときは意味のあることをいうべきで、すでに暑いとわかっているのになお言葉で説明していうのは無用のことではないか、と蔵六は思っている。

*医師の適性
「医師というものはあまりに変人であってはいけない。世間に対し衆人の好意を得なければ、たとえ学術卓絶し言行厳格なる医師であっても病者の心を得る事が出来ず、従ってその得を施すことができない」というくだりになったとき、蔵六はふと、「この一項にかぎって、私は医たる者に向いておりません」と、小さくつぶやいた。

*磁力
時勢の必要性というものを磁力とすれば、蔵六という存在はすでに強力な磁力を帯びていた。幕府が蔵六を大切にしているのも、運命ではなく、時勢である。桂の手紙も、その時勢の渦の中で発せられたものであった。

*人の出会い
蔵六の生涯でのひとつの特徴は、人間とのめぐりあいの運に恵まれていたことであった。
…このようにして松山第一の名医と大洲第一の名医が先導してくれて乗り込んでゆくなら、宇和島はんの蔵六への印象も大いに重量を加えるに違いなかった。げんに、これが蔵六にどれだけ幸いしたかわからない。とにかく蔵六という男は、人と奇遇することの多い男であった。奇運の持ち主というのは、元来そういうものらしい。

高杉晋作との一節
相手が苦手だとみると物をいわなくなる癖を、露骨に出していた。

*軍事的才能
幕末、志士と称せられる人物は諸方に無数に出たが、総司令官である才能のもちぬしはついに蔵六しか出ていないことを見れば、この才能が人間の才能のなかで稀有なものであることを知ることができるだろう。蔵六よりむしろ、彼を掘り出した長州人集団のほうにより大きな評価をあたえるべきかもしれない。

将師は寡黙でなければならない。いちいち物事におどろいたり口やかましく感想を囀っているようなことでは、配下はそのことにふりまわされて方途に迷う。

蔵六がなすべきことは、幕末に貯蔵された革命のエネルギーを、軍事的手段でもっと全日本に普及するしごとであり、もし維新というものが正義であるとすれば(蔵六はそうおもっていた)津々浦々の枯木にその花を咲かせてまわる役目であった。中国では花咲爺のことを花神という。蔵六は花神のしごとを背負った。

長州人

*議論好き
幕末の長州人というのは、理論好き、弁解好きという点で、他藩にくらべ、ほとんどこれは異人種ではないかと思われるところがある。

*手紙がすき
元来長州人は文章をかくことがすきであり、同志や友人とのあいだの手紙の往復がじつに頻繁で、このため領内の街道にはそういう書簡の束をかかえた飛脚問屋の人夫がとびまわっている。藩内での情報交換や江戸や京都からの情報吸収の能力の高さはどの藩よりぬきんでていたが、これはもともとこの長州人たちの共通の性癖というものであった。が、この共通の性癖が、のちにこの藩を機敏にし、時勢への反応を鋭くゆく大きな理由になっていく。

*猪突猛進タイプ
長州人の毛点というのはたしかにそうであろう。議論好きで口が軽く、しかも慷概の徒が多い。さらには群がってなにか過激な行動をおこすとき、戦略的な展望をうしない、過激行為そのものが目的になり、自分一個のいさぎよさに陶酔するところがある。

日本人

*日本人の反応
余談ながら、日本人があたらしい文明の型を見たときにうける衝撃の大きさと深さとは、とうてい他民族には理解できないであろう。…衝撃の内容は、滅亡への不安と恐怖と、その裏うちとしての新しい文明の型への憧憬というべきもので、これがすべての日本人におなじ反応をおこし、エネルギーになり、ついには封建という秩序の牢獄をうちやぶって革命をすらおこしてしまった。この時期前後に蒸気軍艦を目撃した民族はいくらでも存在したはずだが、どの民族も日本人のようには反応しなかった。

*頓狂人
天才とは頓狂人だが、西洋人はそういう者を愛する、それをおだて、ときには生活を援助して発明や発見をさせたりする。日本人は頓狂人をきらうから遅れたのだ、という。シーボルト先生も頓狂人だからはるばるヨーロッパにとって、未知の日本にきたのだ、という。

攘夷

*攘夷はエネルギー
幕末の攘夷熱は、そえが思想として固陋なものであっても、しかしながら旧秩序をやきつくしてしまうのための大エネルギーは、この攘夷熱をのぞいては存在しなかった。福沢は蔵六や長州人の「攘夷熱」を嗤ったが、しかし、これがもし当時の日本に存在しなかったならば武家階級の消滅はきわめて困難で、明治開明社会もできあがらず、従って福沢の慶応義塾も、あのような形にはあらわれ出て来なかったことになる。「攘夷」というものが、福沢のいうようなばかばかしいものでなく攘夷が思想というよりエネルギーであればこそ、この時期以後激動期の歴史の上でのさまざまな魔法を生んでゆくのである。

*イギリス留学
「国(藩)は知らないのだ」と、井上と伊藤は昂奮していった。とても西洋文明と戦争できないということは、ヨーロッパを一見し、このロンドンに六ヶ月住んだだけでわかる。攘夷は正義ではなく単に無知であるにすぎないということを、この井上・伊藤という。かつてはもっとも過激な攘夷青年が気付いた。ただかれらが単に私的開明家になったというだけでなく、藩を開明藩にしようとふるいたったところが、遠藤ら他の青年たちとちがっている。

*過激化
蔵六は福沢のきらいな攘夷主義者であったが、しかし去年の一時期には、攘夷という言葉をきくのもいやになった。浪人のなかには職業的な攘夷家まであらわれてきて、人々の狂気や恐怖心をあおっては、めしのたねにした。攘夷思想も、初期の潔癖さをうしない、無頼漢の護符のようになった。

桂小五郎

原因をつくったのは、桂であるであろう。蔵六はいままで、世間も人も、自分の学問を需要し、蔵六自身を需要しなかったことを知っている。それが、この男なりに不満であり、その不満は鬱積していた。その蔵六を、桂がもとめたのである。…人間の心の昂揚というのは、ほんのささいなことからでもおこりうる。ー桂のためには、死んでもいい。という、蔵六のこの大げさな感動は、蔵六にとって決して大げさではなかった。まず第一に時代が煮えたぎっている。戦国や幕末という、この煮えたぎった時代には、人の心も尋常ではない。感情の振幅が、時代のゆれうごきの振動に比例して大きいということを、後世のわれわれは知らなければならない。(おれは、本来百姓である)という想いが、つねに蔵六にある。にもかかわらず、桂は多数の藩士を信用せず、蔵六のみをえらんだとは、何ということであろう、その一事が、とくに蔵六の心をゆさぶったのは蔵六自身になってみないとわからない。

感想

おじさま世代の方々に根強い人気のある司馬遼太郎
長編の歴史小説を読んだの初めてだったけど、はまってしまったよね。幕末面白い。

特に物語の序盤(上巻の半分)を越えたあたりから。 司馬作品の緻密で膨大な情報量に圧倒されながら、次第に不器用な村田蔵六という人間が好きになってくる、不思議な感覚。

物語から脱線し続けることを何度も謝罪している司馬さん。

*技術

学業成績(5日毎に行われる会読)の成績によって、寝床の良し悪しが決まる。前夜になると全塾生ほとんどが徹夜で勉強し、夜はロウソクの灯で異様な熱気に包まれていた。塾生自身が蘭書の和訳を行い、次の順番のものに質問する。上手く答えられれば点数がつく。 例えば福沢諭吉などは塾いる期間、勉強につかれると昼夜なしにその場に倒れて眠り、さめると机にむかった。

適塾の描写がよい。まさにフロー体験。
技術の習得に没頭する。技術で世界を変える。憧れる。

*人の才覚を見抜く

性格に難がある。蔵六は人情というものを理解できない。
イネとの恋愛模様に至る描写なども、女性の気持ちが分からない現代の理系男子と全く同じ。 また火吹達磨のような出で立ちで、不細工であることは本人も自覚していたらしい。

欠点があるからこそ、愛おしく思える。そして、秀でた才能を持っている。
不器用で不細工な愛おしい蔵六が、現代にも多く存在している。

革命期に登場する「技術」とはどういう意味があるかということが、主題の一つ。 大革命というものは、まず最初に思想家があらわれて非業の死をとげる。日本では吉田松陰。そして戦略家の時代に入る。日本では高杉晋作西郷隆盛のような存在。 三番目に登場するのが、「技術者」

「思想家」は計画の立案者であり、「政治家」は適材適所に人物を配置し、登用された「技術者」はアイデアを実現可能な計画まで持っていく。
長州でいえば思想家は吉田松蔭、政治家は桂小五郎、そして技術屋の大村益次郎
特に現代においては人の才覚を見抜くという力が求められていると思う。自分の周りの人間に例えると誰だろうか、そして自分はどのタイプだろうか…。花神を読んで技術屋思考になりつつあるんだけど。

*無欲に生きる

蔵六はその洪庵のことばをひらき、「洪庵先生のご一生がそうであったように、技術は道のために用いれるべきもので、おのれの栄達のために用いられるべきものではない。諸賢、よろしく賢察されたい」と言い、最後に、自分は長州へもどる、縁があればふたたび会うであろう、といったとき、一座のあちこちからすすり泣く声がきこえた。蔵六はさすがに感傷的になり、大きな目を宙にじっと据えている。

自身の成功のためではなく、より大きな「何か」に身を捧げること。
洪庵先生の大切な教え。

ある仕事にとりつかれた人間というのは、ナマ身の哀歓など結果からみれば無きにひとしく、つまり自分自身を機能化して自分がどこかへ失せ、その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。蔵六のように時間的に組織のなかに存在した人間というのは、その仕事を巨細にふりかえってもどこに蔵六が存在したかということの見分けがつかない。つまり男というのは大なり小なり蔵六のようなものだと執筆の途中で思ったりした。…蔵六はあるいはそういう煙のような存在の典型であるかもしれない。

イネ

蔵六がイネに言いたかったのは、自分の寒い一生のなかで、イネの存在というただ一点だけが暖気と暖色にみちているということを言いたかったのだが、それをぬけぬけという衒気は蔵六になく、あとは闇の中で沈黙しているだけであった。

時代に求められていたのは、蔵六の「技術」だけだった。 徹底した合理主義の信徒であった蔵六は、人から好かれない。 技術を愛したのは、人から寵愛を受けなかった蔵六の逃げ道であったのかもしれない。

幕末の暗闇を生き抜いていく中で、イネの存在だけが希望だった。他の人と同様に人間愛を求めた。 徹底した合理主義者である蔵六の内側に垣間みる人間らしい心の描写が素敵だった。

幕末

攘夷という爆発的なエネルギーが渦巻く世界で、若い才能に溢れた人物が数多く輩出される。 学問に対する強烈な欲求、技術で世界を変える。そして、人間愛。

ひゃー読むのめちゃ時間かかったけど、面白かった。
100分de名著にあった、短期的合理主義と長期的合理主義、オタクには別のリーダーが必要という視点をもう少し掘り下げたい。