あとは頼みます。

ここまでは考えたので…

【読書】知的複眼思考法

【読書記録パート23】

筆者:苅谷剛彦
表題:知的複眼思考法

内容

はじめに

なんともいえない不透明感が私たちを取り囲んでいる。他方で、善か悪かといった白黒の決着を迫る、わかりやすい二分法的なものの見方が広まっている。改めて「自分の頭で考える」ための方法を、できるだけ多くの人々が身につけることの重要性を痛感する。問題が多発するのに、それぞれの問題解決への決めてが見つからない。たとえ問題への対処のしかたがわかったとしても、その実行を阻む別の問題がすぐそばに控えている。失望感や不安感が充満する時代の中で、それでもなお、私たちは日々何らかの選択や決定をしながら生きている。

他者を批判するとき、人は簡単に、自分を善玉の側に置く。ところがそうした区別自体が、どういうからくりで出来上がっているのか、区別自体を生み出す線引きのしかたが、どういう文脈から生まれてきたのか、その線引き自体にはどういった意味があるのか、といったことには目が向かない。そして、こうした選択や決定のしかたが、社会全体の空気に流されていたり、そうした流れを強めたりしている。「わかっちゃいるけどやめられない」この流れを変えるためには、今一度私たち自身が、自分の思考力、判断力を強め、空気を振り払うしかない。

「自分の頭で考える」ということ

先生や上司はあなたの欠点を指摘してくれても、「どうすればいいか」その具体的な方法までは教えてくれない。自分なりに工夫しようにも、その第一歩がわからない。頭ではわかっていても、実際にやろうとすると、どうしていいのかわからなくなってしまう。人の意見を簡単に受け入れてしまわずに、批判的に捉え直すには、どうしたらよいのか。自分なりの考えを、きちんと自分のことばで表現できるようになるためには、どんな工夫がいるのか。論理的に筋道の通った考えを展開するためには、何が必要なのか。とくにこの本で目指したのは、ありきたりの常識や紋切り型の決まり文句、つまり「ステレオタイプ(決まりきったものの見方)」にとらわれずに、あなた自身の視点からものごとをとらえ、考えていくための方法ー「複眼的思考法」を身につけること。

複眼的思考法

考えるプロセスを経ていなくても、答えさえ見つけれればそれでよい。このような習性が身についてしまうと、今度はなかなか答えが見つからない類の問題に出会った場合に途中で息切れして、ステレオタイプの発想にとらわれてしまう。

複眼的思考法とは、複数の視点を自由に行き来することで、ひとつの視点にとらわれない相対化の思考法のこと。情報を正確に読み取る力、物事の論理の筋道を追う力、自分の論理をきちんと組み立てられる力が養われる。複眼的思考で物事を見る習慣がつくと、問いの立て方が上達する。また、実行した結果の完成度がより高まる。

読書の効用

活字メディアの場合、受け手のペースに合わせて、メッセージを追うことができる。他のメディアに比べて時間のかけかたが自由である。文章を行ったり来たりできることは、立ち止まってじっくり考える余裕を与えてくれることでもある。もっともらしさ自体を疑ってかかる余裕が与えられる。つまり、ありきたりの「常識」に飲み込まれないための複眼思考を身につけるうえで、こうした活字メディアとの格闘は格好のトレーニングの場となる。

書き手の書くプロセスを意識する

書き上がったものを「動かざる完成品」だと見る見かたは弱くなってくる。つまり、完成品としてむやみに書き手のいい分をそのまま何となく納得してしまう受け身の姿勢ではなく、ちょっと立ち止まって考える習慣が身につく。こうした著者と対等な関係を築くことは、複眼思考を身につけるうえでの基本的な姿勢となる。批判的な読書を通じて、ものごとに疑問を感じること、ものごとを簡単に納得しないこと、すなわち自分で考える姿勢ができてくる。

批判的というと、何か攻撃的な、手に取った本を初めから避難するような気持ちで接することだと思う人もいるかもしれません。しかし、ここでいいたいのは、著書の思考の過程をきちんと吟味しながら読もうとすることである。専門家や有名な評論家、あるいは大学教授が書いているのだからといって、そのまま鵜呑みにするのではない、そういう態度が重要。論理が飛躍している場合もあるため、おかしいなと思ったら読み返す習慣をつけること。

問題点を探し出すことで止まってしまっては、「批判的読書」は思考力を鍛える半分までの仕事しかできない。考える力をつけるためには、もう一歩進んで「代案を出す」ところまで行く必要がある。そこで、私は学生たちに「自分だったらどうするか、というところまで考えて、そして、考えたことを考えたままにしないで、必ず書くこと」を指導する。思考を厳密にするうえで、書くことこそが、もっとも基礎的な営みである。

書くことと考えること

考えたことを文字にしていく場合、いい加減であいまいなままの考えでは、なかなか文章にならない。何となくわかっていることでも、話し言葉でなら「なんとなく」のニュアンスで残したまま相手に伝えることも不可能ではない。それに対して、書き言葉の場合には、その「何となく」はまったく伝わらない場合が多い。そのような意味で、書くという恋は、もやもやしたアイデアに明確なことばを与えていくことであり、だからこそ、書くことで考える力もついてくる。

*論理を明確にする文章のコツ

(1)結論を先に述べ、それからその理由を説明するスタイルにする
最初に結論をバーンといってしまったほうが、わかりやすい文章になる。

(2)理由が複数ある場合には、あらかじめそのことを述べておく。
読み手に論点をあらかじめ知らせておくと同時に、書き手にとっては、意識の中でいくつの論点について書くのかあらかじめ決めておく。 また、説明をいくつかの側面から行う場合にも、あらかじめそのことを述べておく。

(3)判断の根拠がどこにあるのかを明確に示す
単なる思いつき以上のものだということを示す。

(4)根拠に基づいて推敲しているのか、断定的にいっているのか、わかるようにしておく。
断定できない場合は、正直にそのように表現する。

(5)別の論点に戻る場合には、それを示す言葉を入れておく
論点が変わったことをわかってもらうためには、段落を変えたり、接続後をはさんでおくことが親切な書き方。

(6)文と文がどのような関係にあるのかを示す
考える力を養う文章の第一歩は、文と文のつながりに気をつけながら、文章を書いていくこと。 文のつながりが、論理的にどうなっているのかをはっきりさせる。「接続のことば」に着目し、文のつなげかたを丁寧に見る。

(7)自分で仮想の立場を複数設定して、それぞれの立場からの批判や反論を試みる
さまざまな立場に立った反論を書くことで、書き手がよって立つ複数の前提も見えてくる。

問いの立てかた

疑問と問いの決定的な違いは、疑問が感じるだけで終わる場合が多いのに対して、問いの場合には、自分でその答えを探し出そうという行動につながっていくという点にある。

(1)問いのブレイクダウン
ひとつの問いを複数の問いに分けていく

(2)問いをずらす
なぜという問いを起点にして、新しい問いを発見して行く。

(3)「因果関係」を問う
・主語を下位の集団に分類する。
・「なぜ」と「どうなっているのか」の組み合わせで問いを展開していく。
・問いを分解するには、どんな要因の影響があるのかを見当つけながら分けて行く。

(4)疑似相関を見破る
社会的な問題については、複数の原因が錯綜している。気をつけなければならないのは、偽の原因=「疑似相関」に惑わされないようにすること。 原因以外の要因が影響を及ぼしていないかどうかに目を向ける。他の社会や組織、違う時代との比較が有効なヒントを与えてくれる。

問いの展開のしかた

考えるということは目の前の具体的なことがらを手がかりにしながらも、それにとらわれることなく、少しでも一般的なかたちでものごとを理解していくことを「概念化」とよぶ、

複眼思考を身につけるためには、概念のレベルと具体的なケースのレベルを使い分け、問題を考えていくことが重要。つまり、具体的な事柄と抽象的な事柄との往復運動の中で、考えるという営みは行われる。 なぜなら、個別のケースの中だけで考えているかぎり、そのケースを越え出る問題の広がりは目が向かないから。当面の問題だけ追っていると、その問題が自分にとって身近でなじみがある分だけ、問題を当たり前と見なしてしまうことも多くなる。

*概念レベルでの仮説の立て方
(1)複数のケースを並べて、それらに共通する部分は何かを考えること
・二つ以上のケースを比較することで、両者に共通する特徴を概念としてつかみ出す。

(2)それらを共通するものとしてくくることのできる概念は何かを探すこと
原因と結果が一致しているか表に現してみるとよい。

(3)その概念をどのような意味で使うのか、定義をはっきりさせること

多面性でみる

この本を通じて私が提唱してきた「複眼的思考法」とは、ものごとを一面的にとらえるのではなく、その複雑さを複数の視点から把握することを主眼にしている。そして、そうした視点に立って、「常識的」なものの見方にとどまらない。いい換えれば、思考停止に陥らないで、考えることの継続・連鎖を生み出すような、思考の運動を呼び起こすことにある。

ものごとを2つ以上の要素が相互に関係しあっている関係の束とみなすことによって、複眼的にものごとを見られるになる。数学で習ったベクトルのようなもの。目の前にあるひとつの現象は、実際には複数の力(ベクトル)の集まり(合成)によって、ひとつの姿として現れている。

*多面性に注目するポイント
・目の前の問題(事象)は、どのような要因の複合体かを考える(=分解)
・それぞれの要因の間にはどのような関係があるかを考える(=相互作用の抽出)
・そうした要因の複合の中で、問題としている事柄がどのような位置を占めているのかを考える(=全体の文脈への位置づけ)

逆説(パラドックス)の発見

マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」では、資本主義という経済の成り立ちが「お金儲け」から始まったのではなく、勤勉さを旨とする節度ある合理的な生活態度から誕生したという逆説を唱え、人々の常識を覆した。なさに、「逆説(パラドックスの発見」であった。彼自身のことばを借りれば、「行為の意図せざる結果」への着目。

プロテスタントたちは、何も資本主義を作りだそうと思って、禁欲的な生活をしていったのではない。むしろ、純粋に宗教的な理由から、倹約や節制に価値を置く禁欲の生活態度を求めた。つまり、プロテスタントの教義自体は、資本主義を生み出そうとしたわけではまったくなかった。

感想

立ち位置をずらす

複眼的思考とは、自分が見ている「立ち位置」変えること。
例えば子供の低い目線から、後ろに下がって遠いところから、時間を遡ってみたり、場所を変えてみたり、あるいは虫眼鏡を使ってみるなど、多角的な視点を持つ事で普段は目に見えないものごとの性質を捉える方法。要は、MECEやロジックツリーを使用するロジカルシンキングと同じ手法だと思う。whyのなかに、「立ち位置をずらす」という視点を常に持つ。仮説を検討した後、一次情報として聞いてみるのが最も効率的な方法かと。

具体的には一つ条件を加える。もしくは、逆に要素を減らすと「立ち位置」をずらして物事をみやすい。何かの要素を固定してみてもよい。デザインの作り方と同じ。

代案を出す

問題点を探し出すことで止まってしまっては、「批判的読書」は思考力を鍛える半分までの仕事しかできない。考える力をつけるためには、もう一歩進んで「代案を出す」ところまで行く必要がある。

ロジカルシンキングを学んだからといって、「批判的思考」を他人にむやむに振りかざす人がいる。欠点ばかりを指摘し、具体的な解決方法を提示せず課題を増やすことに熱心になる人もいる。なぜかそんな人が賢いと思われる風潮があるが、私は決してそうは思わない。複雑化する社会問題の中で、課題の本質をとらえ実行可能な方法を模索できるかが重要。

あらゆる方向からの批判に対応するシステムを構築した場合、制度が複雑すぎてサービスが滞る現象が我々の棲む日本ではよく見受けれられる。誠実で、他人の目や批判を気にする日本人の気質が原因だと思うが、実行力を伴わなければ課題はいつまで経っても解決しない。PDCAを素早く回していけば、品質は向上する。まずは「やってみる」ことが重要、と私は思う。

その他

ロジカルシンキングが思考フローとして根付いてくると、自分で考えること自体が楽になる。課題の全体像と細部の成り立ちをMECE(ダブりなくモレなく)で捉えられるようになると、スピードを持ってかつ的確に対応できるようになる。不透明さが払拭され、没頭して作業ができる。

ロジカルシンキングは思考の一端なのかもしれない。あらゆる思考法を用いて「自分で考える」ようになったとき、もう少し人に優しくできるようになると思う。